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【永久】将棋史を完成させよう【保存版】

1 :名無し名人:2008/09/06(土) 04:05:43 ID:wcV2wIiO
将棋の歴史を語る上で欠かせないと思う出来事を、皆で列挙しよう。

(例)1996年2月 羽生善治、史上初の七冠を達成

そしてそれらの中から歴史的意義があると思われるものを採用していき、年表を作りたい!
皆さん協力よろしくです。

2 :名無し名人:2008/09/06(土) 04:24:22 ID:wcV2wIiO
2005年11月 瀬川晶司、61年ぶりのプロ編入試験に合格。フリークラス四段に。

3 :名無し名人:2008/09/06(土) 04:29:26 ID:wcV2wIiO
1990年8月 屋敷伸之、18歳6ヶ月の史上最年少でタイトルを獲得

4 :名無し名人:2008/09/06(土) 06:58:14 ID:7OR1NF9L
1970年6月22日 先崎学誕生

5 :名無し名人:2008/09/06(土) 07:08:47 ID:LjAAFx2y
1924年11月、将棋大成会本部で
市田二段が尾崎五段を日本刀で切りつける

6 :名無し名人:2008/09/06(土) 07:30:11 ID:PF2UWB4x
2001年 宇宙の旅

7 :名無し名人:2008/09/06(土) 07:49:17 ID:Ec5/JxF+
1970年 藤井猛生誕
1991年 プロ入り
1995年 対井上慶太戦で藤井システム初披露
1996年 藤井システムで升田幸三賞を受賞
1998年 谷川浩司をストレートで破り竜王位を奪取、以後三連覇



8 :名無し名人:2008/09/06(土) 08:31:19 ID:x51p2oSP
202*年 名人が将棋ソフトに敗れる
2030年 各新聞社が経営環境の悪化、将棋人口の減少を理由に
    漸次、棋戦からの撤退を表明
203*年 日本将棋連盟 解散

未来史はこうですか?

9 :名無し名人:2008/09/06(土) 09:11:45 ID:tX2lLzHE
2008年3月 A級順位戦最終局 佐藤対郷田戦 対局終了後に暴漢乱入
         負けた郷田の勝ち筋を、勝った佐藤に得意気に語り始め、周囲を唖然とさせる

10 :名無し名人:2008/09/06(土) 09:16:31 ID:aO3eGLLj
郷田じゃなくて木村だろ

11 :名無し名人:2008/09/06(土) 09:16:49 ID:BTgLSsAx
>>9
2008年3月7日 

×佐藤対郷田戦
○佐藤対木村戦
           


12 :名無し名人:2008/09/06(土) 09:22:49 ID:qK/+mUf2
>>8
おおむねあってます。
204*年 異星人との交流により、地球最強のソフトが、地球人と異星人のハーフ ピガット羽生RGHF076TX3世に敗れる。

13 :名無し名人:2008/09/06(土) 09:30:10 ID:OSZ/EkbO
8

リアルにありそうで怖い。

将棋界は最低でも七大棋戦とNHKは残して欲しいなあ。
ネット棋戦は増える気がする。

202×年 全棋士参加のネット棋戦で不正発覚。
○○容疑者「生活の為にやった」

14 :名無し名人:2008/09/06(土) 09:44:47 ID:3rYrIG9w
1959年 大山初の三冠王
1960年 大山初の四冠王
1962年 大山初の五冠王

15 :ここまでの年表:2008/09/06(土) 10:50:40 ID:qj/Se1st
1924年 将棋大成会本部で 市田二段が尾崎五段を日本刀で切りつける (11月)
1959年 大山初の三冠王(名人・九段・王将)
1960年 大山初の四冠王(名人・九段・王将・王位)
1962年 大山初の五冠王(名人・十段・王将・王位・棋聖)
1970年 先崎学誕生(6/22)
     藤井猛生誕(9/29)
1990年 屋敷伸之、18歳6ヶ月の史上最年少で初タイトルの棋聖を獲得(8/1)
1991年 藤井猛プロ入り(4/1)
1995年 藤井猛、対井上慶太戦で藤井システム初披露(12/22)
1996年 藤井システムが升田幸三賞を受賞
1996年 羽生善治、史上初の七冠を達成(2/14)
1998年 藤井猛、谷川浩司をストレートで破り竜王位を奪取。以後三連覇(11/19)
2005年 瀬川晶司、61年ぶりのプロ編入試験に合格。フリークラス四段に(11/6)
2008年 A級順位戦最終局 佐藤対木村戦 対局終了後に暴漢乱入
     負けた木村の勝ち筋を、勝った佐藤に得意気に語り始め、周囲を唖然とさせる(3/7)
202*年 名人が将棋ソフトに敗れる
2030年 各新聞社が経営環境の悪化、将棋人口の減少を理由に漸次、棋戦からの撤退を表明
203*年 日本将棋連盟解散
204*年 異星人との交流により、地球最強のソフトが、地球人と異星人のハーフ ピガット羽生RGHF076TX3世に敗れる。

16 :名無し名人:2008/09/06(土) 10:52:26 ID:qj/Se1st
ざっとまとめてみたけど、事実関係に誤りがあったら、どなたか訂正お願いします。
(この中で歴史的意義のあるものっていくつあるんだろう)

17 :改訂版:2008/09/06(土) 10:58:14 ID:qj/Se1st
1924年 将棋大成会本部で 市田二段が尾崎五段を日本刀で切りつける (11月)
1959年 大山初の三冠王(名人・九段・王将)
1960年 大山初の四冠王(名人・九段・王将・王位)
1962年 大山初の五冠王(名人・十段・王将・王位・棋聖)
1970年 先崎学誕生(6/22)
      藤井猛生誕(9/29)
1990年 屋敷伸之、18歳6ヶ月の史上最年少で初タイトルの棋聖位を獲得(8/1)
1991年 藤井猛プロ入り(4/1)
1995年 藤井猛、対井上慶太戦で藤井システム初披露(12/22)
1996年 藤井システムが升田幸三賞を受賞
      羽生善治、史上初の七冠を達成(2/14)
1998年 藤井猛、谷川浩司をストレートで破り竜王位を奪取。以後三連覇(11/19)
2005年 瀬川晶司、61年ぶりのプロ編入試験に合格。フリークラス四段に(11/6)
2008年 A級順位戦最終局 佐藤対木村戦 対局終了後に暴漢乱入
      負けた木村の勝ち筋を、勝った佐藤に得意気に語り始め、周囲を唖然とさせる(3/7)
202*年 名人が将棋ソフトに敗れる
2030年 各新聞社が経営環境の悪化、将棋人口の減少を理由に漸次、棋戦からの撤退を表明
203*年 日本将棋連盟解散
204*年 異星人との交流により、地球最強のソフトが、地球人と異星人のハーフ ピガット羽生RGHF076TX3世に敗れる。

18 :さらに改訂版:2008/09/06(土) 11:06:26 ID:qj/Se1st
1924年 将棋大成会本部で 市田二段が尾崎五段を日本刀で切りつける (11月)
1959年 大山初の三冠王(名人・九段・王将)
1960年 大山初の四冠王(名人・九段・王将・王位)
1962年 大山初の五冠王(名人・十段・王将・王位・棋聖)
1970年 先崎学誕生(6/22)
      藤井猛生誕(9/29)
1990年 屋敷伸之、18歳6ヶ月の史上最年少で初タイトルの棋聖位を獲得(8/1)
1991年 藤井猛プロ入り(4/1)
1995年 藤井猛、対井上慶太戦で藤井システムを初披露(12/22)
1996年 羽生善治、史上初の七冠を達成(2/14)
      藤井システムが升田幸三賞を受賞
1998年 藤井猛、谷川浩司をストレートで破り竜王位を奪取(11/19)以後三連覇
2005年 瀬川晶司、61年ぶりのプロ編入試験に合格。フリークラス四段に(11/6)
2008年 A級順位戦最終局 佐藤対木村戦 対局終了後に暴漢乱入
      負けた木村の勝ち筋を、勝った佐藤に得意気に語り始め、周囲を唖然とさせる(3/7)
202*年 名人が将棋ソフトに敗れる
2030年 各新聞社が経営環境の悪化、将棋人口の減少を理由に漸次、棋戦からの撤退を表明
203*年 日本将棋連盟が解散
204*年 異星人との交流により、地球最強のソフトが、地球人と異星人のハーフ「ピガット羽生RGHF076TX3世」に敗れる

19 :名無し名人:2008/09/06(土) 11:18:48 ID:3sc0YFDL
2008年 元県代表の山田茂樹を殺人未遂の容疑で逮捕(8/7)

20 :名無し名人:2008/09/06(土) 11:49:08 ID:yjCNw6sr
西暦年  和暦元号  <時の名人>   出来事(随時更新) 
1058 天喜6年(戊戌)  この時代の将棋の駒16枚が木簡とともに、奈良県興福寺旧境内より出土。
1142 康治元年(壬戌)  藤原頼長の日記「台記」に崇徳天皇の御前で師仲朝臣と大将棋を指すと記述。
1200 正治2年 (庚申)   藤原定家の日記「明月記」に幾度も大将棋を指すと記述。
1232 貞永元年 (壬辰)  奈良の海龍王寺「大和海龍王寺制規」に大小将棋の記述。
1435 永亨7(乙卯)   「看聞御記」に小将棋を指すとの記述。
1444 文安元年 (甲子)   権大外記の中原康富の日記「康富記」に中将棋を指すと記述。
1497 明応6 (丁巳)   大納言の三条西実隆の日記「実隆公記」に中将棋を指したり、中将棋の駒を書き献上などの記述多数あり。
1527 大永7(丁亥)   「言継卿記」に小将棋を指すとの記述。
1532 天文年間に     後奈良天皇が小将棋から<酔象>の駒を除くとの言伝えあり。
1556 弘治2(丙辰)   「言継卿記」に中将棋の指し手一楽と如汐斎の対局を見物との記述。
1587 天正15(丁亥)      「家忠日記」に最古の将棋駒組図の書き込みあり。
1591 天正19(辛卯)       「言継卿記」に宗桂らしき将棋指しと逢ったと記述。
1592 天正20 1208→文禄(壬辰) 水無瀬兼成筆の<象戯纂図部類抄> 1軸があり、古将棋の図あり。
1593 文禄2(癸巳)        中国の「日本風土記」に日本将棋の解説あり。
1595 文禄4(乙未)        「御湯殿上日記」秀吉が王将を大将に改めたいと申し入れたとある。
1597 慶長2 (丁酉)       「言継卿記」に少将棋指しの宗桂と記述。
1602 慶長7 (壬寅)      「言継卿記」に宗桂が言継に少将棋の詰将棋50番を記した1冊を贈ると申し入れてきたと記述。
1605 慶長10(乙巳)        江戸城で12月24日〜翌年2月1日に算砂、宗桂が7番勝負対局。
1606 慶長11(丙午)        7番勝負は宗桂の五勝二敗。

21 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:00:07 ID:yjCNw6sr
<一世大橋宗桂>
1607 慶長12(丁未) 宗桂、算砂とともに駿府(家康)、江戸(秀忠)に招かれ将棋披露。
              「古写本将棋集」に対戦譜。棋譜現存
1608 慶長13(戊申) 秀頼御前で算砂、宗桂が対局。
1612 慶長17(壬子) 宗桂、家康から50石5人扶持を賜り、算砂から将棋所を受ける。
              宗桂「象戯図式」刊行、最古の棋書。
1615 慶長20 0713→天和(乙卯)  駿府で算砂、宗桂が対局。
1616 元和2 (丙辰) 駿府で算砂、宗桂が対局。
1617 元和3 (丁巳) 伏見城で算砂、宗桂が対局。宗桂の図式集出版。
1618 元和4 (戊午) 江戸城で算砂、宗桂が対局。現存する宗桂最後の棋譜。
1619 元和5 (己未) 伏見城で算砂・宗古の15番勝負。五番より江戸に転戦
1621 元和7 (辛酉) 宗古・算砂の15番勝負は宗古の九勝5敗1持将棋で幕。
1626 寛永3 (丙寅) お城将棋はこの頃から始ったと思われる。

<二世大橋宗古>
1634 寛永11(甲戌)  一世名人宗桂没 80歳。宗古59歳、大橋家を継ぐ。
1635 寛永12(乙亥) 大橋本家、分家、伊藤家、家禄二十石を受け世襲に。宗看、宗古の娘をめとる。
1636 寛永13(丙子) 宗古、「象戯図式」を開版、巻末に図解で「将棋治式三ヶ条」を示しル−ル成文化。
1637 寛永14(丁丑) 城中で碁将棋上覧の記録あり、お城将棋初めての記録。
               初代伊藤宗看と松本紹尊との30番指しが始まり、宗看の20勝10敗。
1641 寛永18(辛巳) 初代伊藤宗看と萩野真甫との対戦が始まり、正保2年まで39番指し宗看23勝16敗。
1642 寛永19(壬午) 宗古67歳、高橋道角と角落ち戦現存する宗古最後の局。
1646 正保3 (丙戌) 三代宗桂「将棋作物」刊行。
1648 正保5 0215→慶安(戊子)初代伊藤宗看と三代大橋宗桂との右香落、3番の対戦があったと記録あり。
1649 慶安2 (己丑) 初代伊藤宗看「象戯図式」を開版、八段に昇り次期将棋所の予定者と定まる。
1652 慶安5 0918→承応(壬辰)初代伊藤宗看は香角交落で檜垣是安と戦う、吐血の一戦として語り継がれる。
1653 承応2 (癸巳) 「仲古将棊記」開版。宗古・算砂の平香交り15番指しを収め、実戦集として最古の物。

22 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:12:52 ID:yjCNw6sr
<三世伊藤宗看>
1654 承応3 (甲午) 7月15日、二世名人宗古が没する。79歳。 宗看三代名人を世襲し、江戸に移住37歳。
1656 明暦2 (丙申) 宗銀大橋本家再興
1662 寛文2 (壬寅) 四代宗伝没25歳。  碁打衆、将棋指衆、寺社奉行の管轄下に。
1664 寛文4 (甲辰) 宗看は一子宗銀(後の五代宗桂)を大橋本家の人として養子に出し同家を救う。
1667 寛文7 (丁未) 将棋三家、京都から江戸に移住。
1669 寛文9 (己酉) 宗看の一子、宗銀、本家の次期後継者に内定。
1671 寛文11(辛亥) お城将棋で勝負が決しないことがつづく。
1672 寛文12(壬子) この年からお城将棋は事前の下指が行われる。
1673 寛文13 0921→延宝(癸丑)お城将棋で宗桂と宗与の角落ち戦、宗看は手空きで出座。
1682 天和2 (壬戌) お城将棋の記録が始まる。五代宗桂、お城将棋を勤める。
1684 天和4 0221→貞享(甲子) 12月16日お城将棋一日で終了せず。
1686 貞享3 (丙寅) 五代宗桂詰将棋百番「象戯手鑑」刊行。
1688 貞享5 0930→元禄(戌辰) この頃、お城将棋に指し掛けが多発。
1689 元禄2 (己巳) 安芸藩で賭け将棋禁止令。
1690 元禄3 (庚午) 鶴田幻庵、伊藤家の養子に。お城将棋の棋譜記録(二代宗印対三代宗与戦)が始まる。
<四世大橋宗桂>
1691 元禄4 (辛未) 宗看、家督を辞す。五代宗桂、四世名人を襲う。56歳。
1692 元禄5 (壬申) 寺社奉行より通達(内しらべ=下指し)厳命
1696 元禄9 (丙子) 尾州藩で賭け将棋禁止令。
1697 元禄10(丁丑) 内しらべしたものの指し掛け発生。
1698 元禄11(戊寅) 五代宗桂「象棊百ヶ条」を執筆。印達生れる。
1700 元禄13(庚辰) 二代宗印「象戯図式」刊行。
1709 宝永6 (己丑) 10月10日、宗銀16歳・印達12歳の57番勝負始まる。初の指し込み制。
1712 正徳2 (壬辰) 宗桂没、78歳。
<五世伊藤宗印>
1713 正徳3 (癸巳) 四世名人五代目宗桂5月6日に没する78歳。
1715 正徳5 (乙未) 7代宗桂お城将棋に初勤。
1716 正徳6 0622→享保(丙申)お城将棋が八代将軍のこの年,11月17日と決定。三代宗看11歳で御城へ

コピペなんだが1712-1713年が矛盾してるな

23 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:18:38 ID:yjCNw6sr
<六世大橋宗与>
1723 享保8 (癸卯) 五世名人二代目宗印没する図式200題を残す。三代分家宗与6世名人となる76歳。
                       宗看家督を継ぐ18歳
1727 享保12(丁未) 寺社奉行より碁将棋の事蹟調査。
<七世伊藤宗看>  
1728 享保13(戊申) 六世名人分家三代目大橋宗与没する。81歳。宗看23歳で名人就位
1731 享保16(辛亥) 看寿13歳、611手の「煙詰」を作る、と云う説は近年研究家により誤りと判る。
1734 享保19(甲寅) 宗看「将棋無双」を献上。
1737 元文2 (丁巳) 十代将軍、家治生まれる。囲碁・将棋の席次争いがある。
1741 元文6 0227→寛保(辛酉) 分家宗民は四代宗与を名乗る。
1748 延享5 0712→寛延(戊辰) 宗看は御城将棋に11年ぶりで出勤。
1754 宝暦4 (甲戌) 看寿(宗看の弟)八段。
1755 宝暦5 (乙亥) 伊藤看寿「図巧」作品99番は<煙詰め>を献上。九代宗桂12歳で御城将棋へ出勤。
1756 宝暦6 (丙子) 大橋宗英生まれる。
1760 宝暦10(庚辰) 宗看の弟、伊藤看寿没42歳。
1761 宝暦11(辛巳) 七世名人三代目宗看没する56歳。
<  空位  >
1764 宝暦14 0602→明和(甲申)  将棋所は官職や役目ではなく、幕府も認めず、九代宗桂も将棋三家の頭役と返答。
1767 明和4 (丁亥) 将軍家治、お城将棋の席で将棋三家棋士と近習衆との対局を命ず。
1775 安永4 (乙未) 将軍家治の「御差将棊」1番局開始
1776 安永5 (丙申) 宗順の子、宗英四段でお城将棋勤める。
1778 安永7 (戊戌) 六代分家宗英お城将棋に初勤。
1784 天明4 (甲辰) 六代宗看、お城将棋に初勤。
1785 天明5 (乙巳) 九代宗桂、(印寿より改名)図式を献上。
1788 天明8 (戊申) 十代宗桂の養子縁組を九代宗桂より願い出。
<八世大橋宗桂>
1789 天明9 0125→寛政(己酉)九代宗桂、将棋所を28年ぶりに復活させる。46歳
1796 寛政8 (丙辰) 扶持米受領時、役人より将棋所は正式な役職でないと否認、将棋の者と命令される。

24 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:27:05 ID:yjCNw6sr
<九世大橋宗英>
1799 寛政11(己未) 8月14日八世名人九代目宗桂が没する。55歳。
              宗英九世名人を襲う、44歳。宗英は慣例の図式を献上せず
1801 寛政13 0205→享和(辛酉) 尾州藩で賭け将棋禁止令。
1802 享和2 (壬戌) 「将棊精妙」出版。
1806 文化3 (丙寅) 紀伊藩で賭け将棋禁止令。
1809 文化6 (己巳) 九世名人分家六代目宗英、御城将棋の日に没する。54歳
<  空位  > 二度目の名人空位。
1814 文化11(甲戌) 十代宗桂「将棊明玉」刊行。
1816 文化13(丙子) 留次郎、下級武士の次男として生まれ天野家に養子。 盛岡藩で賭け将棋禁止令。
1821 文政4 (辛巳) 柳雪、お城将棋、看理戦で初の美濃囲いを採用。
1822 文政5 (壬午) 留次郎六歳で11代宗桂に弟子入り
<十世伊藤宗看>
1825 文政8 (乙酉) 六代宗看十世名人を襲う、58歳。 鳥取藩で賭け将棋禁止令。
1829 文政12(己丑) 留次郎13歳で3段の棋力。柳雪、分家廃嫡となる。
1831 天保2 (辛卯) 11代宗桂による初代宗桂二百年忌。留次郎師匠との仲、不和が生じ諸国行脚に。
1833 天保4 (癸巳) 河島宗臨、別家として初めてお城将棋に出勤。
1837 天保8 (丁酉) 留次郎、深野宇兵衛戦で、初の天野矢倉を採用
1843 天保14(癸卯) 十世名人六代目宗看没する、76歳。最後の将棋所。
<  空位  > 3度目の名人空位。
1845 弘化2 (乙巳) 留次郎5段30歳、江戸に出る、富次郎と改名。
1849 嘉永2 (己酉) 京都深草霊光寺初代宗桂駒型碑隣りに宗歩夫人の1周忌に駒型の碑建つ。裏に歩兵を刻む
1852 嘉永5 (壬子) 天野宗歩改名し七段、宗歩始めてのお城将棋を勤める。
1853 嘉永6 (癸丑) 宗歩「将棊精選」刊行。
1859 安政6 (己未) 5月13日天野宗歩没する44歳
1861 万延2 0219→文久(辛酉)  お城将棋最後となる。
1863 文久3 (癸亥) お城将棋内示があり、内しらべしたが登城命令無し
1869 明治2 (己巳) 八代宗印棋界再建に立ち上がる。宗印、宗歩の実戦集「将棋手鑑」刊行
1872 明治5 (1109太陰暦廃止・壬申)東京府は将棋、碁家元の家禄返還を命ず。
1877 明治10(丁丑) 宗歩の実戦集「将棋手鑑」刊行。分家九代宗与罪あって獄中へ。

25 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:35:16 ID:yjCNw6sr
<11世伊藤宗印> 
1879 明治12(己卯) 宗印11世名人を襲う、54歳。 小野五平、七段位。
1881 明治14(辛巳) 九代宗与獄死、大橋分家途絶える。宗印「将棊新報」刊行。
1891 明治24(辛卯) 坂田(22歳)、関根四段(24歳)と初手合で敗れる。
1893 明治26(癸巳) 11世名人八代目宗印没する。68歳。伊藤家途絶える。
<  空位  > 4度目の名人空位。
<12世小野五平>
1898 明治31(戊戌) 棋界後援の政財界名士に推されて12世名人になり世襲制廃止となり宗家は消滅。68歳。
1899 明治32(己亥) 「万朝報」「時事新報」新聞が明治31年より将棋棋譜を掲載し始める。
1908 明治41(戊申) 万朝報「高段名手勝継将棋」掲載。
1909 明治42(己酉) 関根、将棋同盟会を結び、翌年、将棋同盟社と改称。
1910 明治43(庚戌) 12代宗金11月19日脳溢血で没し大橋本家途絶える。72歳。
1911 明治44(辛亥) 飯塚力造、駒台を発案。
1913 大正2 (癸丑) 坂田、関根八段と香落ちで勝つ。(泣き銀の局)
1915 大正4 (乙卯) もう一つの泣き銀局、井上義雄戦
1919 大正8 (己未) 坂田八段、土居八段と戦い勝つ。(角損の局)
<13世関根金次郎> 
1921 大正10(辛酉) 12世名人小野五平没する、91歳。棋界の総意で関根54歳で13世名人へ。
1924 大正13(甲子) 三派合同で東京将棋連盟を結ぶ。
1925 大正14(乙丑) 坂田三吉関西名人を自称。花田・木村のラジオ対局。
1927 昭和2 (丁卯) 東京将棋連盟と大阪棋正会が合流し「日本将棋連盟」創立。
1928 昭和3 (戌辰) 新進棋士奨励会設立。
1934 昭和9 (甲戌) 大駒の段差を角は五段差、飛は七段差と改訂。
1935 昭和10(乙亥) 関根、引退を表明。実力名人戦始まる。棋界は分裂。
1936 昭和11(丙子) 棋界合同して将棋大成会を結ぶ。
1937 昭和12(丁丑)  2月5日「南禅寺の決戦」。坂田出場し木村、花田と戦って敗れる。

26 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:40:15 ID:yjCNw6sr
<14世木村義雄>
1938 昭和13(戊寅) 木村、初の実力名人となる。
1940 昭和15(庚辰) 5月15日「定山渓の決戦」土居八段名局を残す(対戦木村)。
1941 昭和16(辛巳) 読売主催、木村名人対八段戦始る。木村51勝9敗。
1942 昭和17(壬午) 戦局悪化により新聞将棋欄縮小、休止相次ぐ。
1945 昭和20(乙酉) 大成会本部空襲で焼失。
1946 昭和21(丙戌) 13世名人関根没、79歳。坂田三吉没、77歳。順位戦始まる。
<塚田正夫>
1948 昭和23(戊子) 大山、升田の高野山決戦。
<14世木村義雄>
1949 昭和24(己丑) 名人戦が毎日から朝日に。
1950 昭和25(庚寅) 読売、九段戦始まる。毎日、王将戦創設。
1951 昭和26(辛卯) 王将戦始まる。
<15世大山康晴>
1952 昭和27(壬辰) 大山名人戦を勝って名人位の箱根越え。木村義雄引退、14世名人就位。
1953 昭和28(癸巳) 関西本部、阿倍野区へ移転。
1954 昭和29(甲午) 土居市太郎に名誉名人を贈る。
1955 昭和30(乙未) 坂田三吉に名人・王将を追贈。
1956 昭和31(丙申) 大山、15世名人の資格取得。
<升田幸三>
1958 昭和33(戊戌) 升田3タイトル独占。
<15世大山康晴>
1959 昭和34(己亥) 3社連合、王位戦始まる。
1960 昭和35(庚子) 千駄ヶ谷に新将棋会館建設。
1961 昭和36(辛丑) 読売、十段戦始まる。
1962 昭和37(壬寅) テレビ対局始まる。産経、棋聖戦始まる。大山五冠王。
1966 昭和41(丙午) 棋聖を二上に敗れ失冠。
1967 昭和42(丁未) 再び大山五冠王。
1968 昭和43(戊申) 女流アマ名人戦始る。
1969 昭和44(己酉) 通天閣に阪田三吉王将碑建つ。
1970 昭和45(庚戌) 全日本学生将棋連盟結成。
1971 昭和46(辛亥) 日中象棋協会結成。

27 :名無し名人:2008/09/06(土) 12:48:37 ID:yjCNw6sr
<中原 誠>
1973 昭和48(癸丑) 福井県、朝倉氏遺跡から174枚の駒出土(永禄3年の日付確認)「酔象」駒あり。
1974 昭和49(甲寅) 将棋連盟創立50周記念式典を椿山荘で行う。将棋大賞を制定。
1975 昭和50(乙卯) 御城将棋にちなみ11月17日を「将棋の日」と定め、記念行事を国技館で行う。
1976 昭和51(丙辰) 京都市南区上久世で1枚の「酔象」裏は太子の駒出土(推定1350年頃)
1977 昭和52(丁巳) 駒作りを楽しむ会発足。
1979 昭和54(己未) 山形県酒田市街地で一枚の「兵」裏に「と」の駒、出土。(平安後期と推定)
              島根県、尼子氏の富田城跡から1枚の「玉将」出土(永禄九年落城)
1980 昭和55(庚申) 鎌倉八幡宮境内から「歩兵・香車・鳳凰」の中将棋と思われる駒出土(13〜14世紀と推定)
              京都市鳥羽離宮から「金将」「銀将」二枚の駒出土(13後半〜14世紀前半と推定)
1981 昭和56(辛酉) 関西将棋会館竣工。将棋家元大橋家より古文書の寄贈を受ける。
<加藤一二三> 1982 昭和57(壬戌) 関西会館内に将棋博物館を開設。
<谷川浩司>
1983 昭和58(癸亥) 谷川21歳最年少名人位。
1984 昭和59(甲子) 連盟資料室に対局記録等の集積のためコンピュ−タ導入。
<中原 誠>
1986 昭和61(丙寅) 14世名人木村没、81歳。
1987 昭和62(丁卯) 将棋ペンクラブ設立。
<谷川浩司> 1988 昭和63(戊辰) 七大タイトルを20代棋士が独占。
<中原 誠> 1992 平成4 (壬申) 15世名人大山没、69歳。
<米長邦雄> 1993 平成5 (癸酉) 興福寺旧境内より天喜六年(1058)の木簡と駒(日本最古駒)が出土。
<羽生善治> 1994 平成6 (甲戌) 大山康晴賞創設。
<谷川浩司> 1997 平成9 (丁丑) 谷川、十七世名人襲位を獲得
<佐藤康光><丸山忠久><森内俊之><羽生善治>
<森内俊之> 2007 平成 19 (丁亥) 66期名人戦・順位戦が毎日/朝日共催決定。森内、十八世名人襲位を獲得
<羽生善治> 2008 平成 20 (戊子) 羽生、四勝二敗で名人奪取、第十九世名人位襲位を獲得。

28 :名無し名人:2008/09/06(土) 17:17:58 ID:2F/MIdFr
大山時代→中原時代→羽生時代

29 :名無し名人:2008/09/08(月) 13:34:18 ID:bkpAsc5G
>>20-27
乙だが主な出典ははっきりさせよう
http://homepage3.nifty.com/gororo/warekinenpyo.html

羽生七冠なんぞ将棋史からしたらささいなことでしかないな


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